礼拝

ヨハネ福音書9章21節〜41節(神の愛)

しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもう

おとなです。自分のことは自分で話すでしょう。」 彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たち

は、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。 そのために彼の両親は、「あれは

もうおとなです。あれに聞いてください」と言ったのである。 そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰

しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのこと

だけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのよ

うにしてその目をあけたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとす

るのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちは

モーセの弟子だ。 私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないの

だ。」 彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私

の目をおあけになったのです。 神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はそ

の人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともあ

りません。もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生ま

れていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われ

た。「あなたは人の子を信じますか。」 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますよう

に。」 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」彼は言った。「主よ。私は信じま

す。」そして彼はイエスを拝した。そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見

えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。

「私たちも盲目なのですか。」 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。し

かし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」


***今日の子の箇所にもあるように、イエス様は辛い状況にある人を、見つけ出して、愛を注いでくださるお方です。しかし、傲慢な心

   のままでは、その愛を感じることが出来ないし、受け取ることが出来ません。今日はペンテコステの日です。たくさんの人に神様の

   聖霊の力と愛を受け取ることが出来ますように・・・