礼拝

ヨハネ福音書10章1節〜19節(いのちの門)

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。 しかし、

門から入る者は、その羊の牧者です。 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。

彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。 しかし、ほか

の人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」イエスはこのたとえを彼ら

にお話になったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まこと

に、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼の言うことを聞かなかったのです。

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。 盗人が来るのは、ただ盗

んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い

牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りに

して、逃げて行きます。それで狼は羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇い人であっても、羊のことを心にかけていないからです。

わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。 それは、父がわたしを知っ

ておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。 わたしにはまた、この囲いに属さ

ないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるので

す。 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのち

を取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしは、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります

。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」このみことばを聞いて、ユダヤ人たちの間にまた分裂が起こった。


***イエス様はたとえのお話をしましたが、それをわかる人はいませんでした。いのちの門を見つける人は少ないのです。滅びの門に、

   入って行く人が多いのです。日々の祈りを深めていきましょう。一人でも多くの人が、いのちの門にたどり着くことが出来ますように

   、祈りのネットワークが強化されますように・・・