礼拝

ヨハネ福音書9章1節〜20節(神のわざ)

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれつい

たのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親で

もありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれ

も働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、その

つばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさ

い。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見てい

た人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そう

ではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は「私がその人です」と言った。 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目

はどのようにしてあいたのですか。」 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』

と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は

「私は知りません」と言った。彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。ところで、イエスが泥を作っ

て彼の目をあけられたのは、安息日であった。こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた

。彼は言った。「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」すると、パリサイ人の中のある人々

が、「その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ」と言った。しかし、ほかの者は言った。「罪人である者に、どうしてこの

ようなしるしを行うことができよう。」そして、彼らの間に、分裂が起こった。 そこで彼らはもう一度、盲人に言った。「あの人が目をあけ

てくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」彼は言った。「あの方は預言者です。」 しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになっ

たこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、

ついにその両親を呼び出して、尋ねて言った。「この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。

それでは、どうしていま見えるのですか。」そこで両親は答えた。「私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知って

います。


***神様のわざを感謝する人と神様のわざさえも、わからず、いや、わかろうとせず、頑なな心で、不幸の道を歩んで行く人たちがいます。

   心を柔軟にして生活していきましょう。