礼拝

ピリピ人への手紙3章1節〜21節(神の国の宝物)

最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは

、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。どうか

犬に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。神の御霊によ

って礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほう

こそ、割礼の者なのです。ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあり

ます。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私はそれ以上

です。私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者で

す。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害した

ほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私に

とって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようにな

りました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っているすばらしさの

ゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを

捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また

、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信

じる信仰による義を持つことができる、という望みがあるからです。私は、キリスト

とその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの

死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。


***今日はイースターです。イエス様が復活された記念すべき日です。この復活の力が

   私たちにも与えられますように祈りましょう。私たちが大事だと思っていたこの世

   の価値観が以下に無意味であるか・・・そして神の国の宝物が人間の価値観とはま

   ったく正反対のものであることを知ることが出来た人は幸いです。