礼拝
ガラテヤ人ての手紙4章1節〜17節(惑わしの力)
ところが、相続人というものは、財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。私たちもそれと同じで、まだ小さかっ
た時にはこの世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。しかし、さだめの時が来たので、
神は自分の御子を遣わし、この方を女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました
。これは律法の下にある者を購い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるよ
うになるためです。そして、あなたは子でるゆえに、神は、「アバ、父。」と呼ぶ御子の御霊
を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、、あなたがたはもはや、奴隷ではなく
、子です。子ならば、神による相続人です。しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本
来は神でない神々の奴隷でした。ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知
られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷
になろうとするのですか。あなたがたは、各種の日と月と季節と年と守っています。あなたが
たのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じてい
ます。お願いです。兄弟たち。私のようになってください。私もあなたがたのようになったの
ですから。あなたがたは私に何一つ悪いことをしていません。ご承知の通り、私が最初あなた
がたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがた
にとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえ
って神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれま
した。それなのに、あなたがたのあの喜びは、いまどこにあるのですか。私はあなたがたのた
めにあかししますが、あなたがたは、もし出来れば自分の目をえぐりだして私に与えたいとさ
え思ったではありませんか。それなのに、私は、あなたがたに真理を語ったために、あなたが
たの敵になったのでしょうか。あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありませ
ん。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締
めだそうとしているのです。
***気をつけないといけないのは、惑わしの力が私たちに常に働いているということ、しっ
かり霊の栄養である聖書の御ことばを蓄えて、霊の目と霊の耳をたしかなものにしてい
きましょう。