礼拝

コリントへの第一の手紙4章1節〜 (闇の中のこと)

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。

このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。しかし、私にとっては、あな

たがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなこと

です。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもあ

りませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主

です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきを

してはいけません。主は、やみの中に隠された事も明るみに出し、心の中のはかりごとも

明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さて、兄弟たち。

以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言ってきました。それは

、あなたがたが、私の例によって「書かれていることを超えない。」ことを学ぶため、そし

て、一方にくみし、他方に反対して傲慢にならないためです。いったいだれが、あなたを

すぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのです

か。もし、もらったのなら、、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなたが

たは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになって

います。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。

そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。私は、こう思

います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出さ

れました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。


***今世の中の毎日の出来事を見るとき、神の領域で神の御手の中にあるなあ〜と感じ

   ます。この世の中の闇の部分がどんどん明るみに出されてきています。さらに祈り

   をささげ、この世の悪がはびこることのないよう祈りをささげていきたいです。