礼拝

ローマ人への手紙12章1節〜10節(神のみこころを知る時)

そういうわけですから、兄弟たち。私は神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。

あなたがたのからだを、神に受け入れられる、清い、生きた供え物としてささげなさい。そ

れこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むし

ろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのか

をわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。私は自分に与えられた恵みに

よって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を超えて思い上がっ

てはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて

、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ

働きはしないと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、

ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持

っているので、もし、それが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば

奉仕し、教えるひとであれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜し

まずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。愛

には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互い

に愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。


***神のみこころが何であるかを知ることが出来るとき、私たちの内側は変えられ、神が

   私たちにくださった賜物が何であるかを悟ることが出来るのだと、この箇所から感じ

   ます。人は自分を変えようと努力してもなかなか変わることが難しいものです。しか

   し、神のみこころを知ることに心を定めていれば、おのずと自分が見えてくるし、人

   のすばらしさも、その賜物の尊さも、わかってくるものだと・・・・・神様少しでも

   神のみこころを知ることが出来て、人を愛することが出来ますようにお祈りします。