礼拝

ekureshia2008-10-05

ローマ人への手紙10章1節〜21節(信仰とは)

兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らが

救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しか

し、その熱心は知識に基ずくものではありません。と「いうのは、彼らは神の義を

知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリス

トが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。モーセ

、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。しかし、

信仰による義はこういいます。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と

言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。また、「だれが地の

奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き

上げることです。では、どう言っていますか。みことばはあなたの近くにある。あ

なたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のこと

ばです。なぜなら、もし、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイ

エスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるか

らです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう

言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギ

リシヤ人の区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求める

すべての人に対して恵深くあられるからです。「主の名を呼び求める者は、だれで

も救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めること

ができるでしょう。聞いたことのない人方を、どうして信じることができるでしょ

う。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。次のように書か

れてあるとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでし

ょう。」しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。。「主よ。だれが

私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。そのように、信仰は

聞くことから始まり、聞くことは、キリストのみことばによるのです。でも、こう

尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。むろん、そうでは

ありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」で

も、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったでしょうか。」

まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがた

のねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」また、イザ

ヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わ

たしをたずねない者に自分を現わした。」またイスラエルについては、こう言って

います。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」


***神様は人を通しことばをくださいます。私たちが語らなくては人々が神を

   信じるチャンスを受けとることが出来ません、キリストのことばを大胆に

   恐れずに伝えていきましょう。信仰は聞くことから始まり、聞くことはみ

   ことばによるのです・・・と書いてあるとおりです。