礼拝

ローマ人への手紙6章11節〜23節(神のくださる賜物)

このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエス

にあって生きた者だと思いなさい。ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて

、その情欲に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の器として神にささげなさい。

というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下に

はなく、恵みの下にあるからです。それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、

恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありま

せん。あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服

従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順

の奴隷となって義に至るのです。神に感謝すべきことは、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが

、伝えられた教えの基準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。あなたが

たにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足

を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささ

げて、清潔に進みなさい。罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については自由にふるまってい

ました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、なにか、良い実が得たで

しょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし、今は、罪から解放されて神の奴隷となり

、清潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。罪から来る報酬は死です。し

かし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


***私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって永遠のいのちをいただきました。このこと

   に心から感謝し、ふたたび、罪の奴隷になることのないように祈って生活していきたいもの

   です。そしてこの空間の世界(思いの世界)が清められていくように日々、祈りを深めてい

   かなければと、毎日のように飛び交うニュースを耳にしながら痛感します。