礼拝

ekureshia2006-10-29

ヨハネ福音書8章1節〜19節(いのちの光)

エスはオリーブ山に行かれた。そして朝早く、イエス

もう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。

エスは彼らに教え始められた。すると律法学者とパリサイ人が
 
姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから

、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

モーセーの律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じて

います。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエス

ためしてこう言ったのである。それはイエスを告発する理由を得るため

であった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして

言われた。「あなたがたのうちで、罪のない者が、最初に彼女に石を

投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、

エスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を

起こして、その女に言われた。「婦人よ、。あの人たちは今どこに

いますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」

彼女は言った。「だれもいません。」そこでイエスは言われた。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して

罪をおかしてはなりません。」

エスはまた彼らに語って言われた。「わたしは世の光です。

わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光

を持つのです。」そこでパリサイ人はイエスに言った。

「あなたは自分のことを自分で証言しています。だからあなたの

証言は真実ではありません。」イエスは答えて彼らに言われた。

「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は

真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ

行くのかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしが

どこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。あなたがたは

肉によってさばきます。わたしはだれをも裁きません。

しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。

なぜなら、わたし一人ではなく、わたしとわたしを遣わした方とが

さばくのだからです。あなたの律法にも、二人の証言は真実である

と書かれています。わたしが自分の証人であり、またわたしを

遣わした父が、わたしについてあかしされます。」

すると彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」

エスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも

知りません。もしあなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの

父をも知っていたでしょう。



***この箇所で一番のすごい学びとなるところを二箇所見つけました。

   ひとつは石打の刑になるはずの女にむかって「婦人よ・・・」

   と声をかけていること・・・の中にどのような人に対しても

   わけへだてなく、愛をもって関わっておられるようすが感じられる。

   それと、罪のないものから、投げなさい」といわれて誰ひとり

   投げることが出来なかったが、、イエス様は罪のない方です。

   それなのに、石を投げません。「わたしもあなたを罪に定めない。                                                                          行きなさい。今からは決して

   罪をおかしてはなりません。」と言われ、石の変わりに

   愛の言霊という石を投げて、その人を救ったのですね。