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ルカの福音書13章1節〜17節(輝くみわざ)
ある人たちが、イエス様のところに来て
いけにえに混ぜた(虐殺された)このような
災難を受けた」と報告をしますが
『そのガリラヤ人たちがそのような災難をうけたから
ほかのガリラヤ人よりも罪深い人たちだと思うのですか
そうではありません
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます・・・』
またたとえで、イチジクの木のお話をされます
『ある人がぶどう園にイチジクの木を植えておいたが
何年たっても実らないので、切り倒してしまいなさい
といいますが、番人はもう少し待ってください、今年1年
そのままにしてやってください、木の回りを掘って
肥やしをやってみますから、それで来年美を結べばよし
それでもだめなら来年切り落としてください』
18年も病の霊につかれ、腰が曲がってぜんぜん伸ばすこと
のできないおんなの人がいて、イエス様はその人を
呼び寄せて、あなたの病気は癒されました、といって
手を置かれるとたちどころに腰が伸びて神をあがめます
憤って群衆に言います(働いていいのは6日です、その間に
来て直いてもらいなさい、安息日にはいけないのです)
イエス様は彼に答えて言われます
『偽善者たち、あなたがたは安息日に牛やろばを小屋から
ほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか・・・』
こう話されると、反対していた者たちは恥じ入り
群衆はみな、イエス様のなさったすべての
輝かしい御業を喜んだ。
***人は自分に対して甘く、人に対して厳しいという
ものさしを持っていて、それが罪というとげになり
災いや争いになるのではないだろうか
愛あるものには、忍耐がうまれ、寛容がうまれ
神の働き人になっていくのだと・・・思う
イチジクの木も人のたとえで、
どんな人でも、寛容な心で愛を持って接するとき
その人の上に神の業が顕れるのですよ・・・