礼拝
ルカの福音書11章1節〜28節(祈り求める時))
イエス様があるところで祈っておられるとき
お弟子さんが(私たちに祈りを教えてください)とお願いします
祈るときにはこうお祈りしなさい、と言われます
『父よ、御名があがめられますように。
御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
私たちの罪をお赦しください。
私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。
私たちを試みに合わせないでください』
またある友達のたとえを語りお弟子さんたちに教えられます
『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。
そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば
開かれます。だれであっても、求めるものは受け
捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなた方の中で、こどもが魚をくださいと言うときに
魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。
卵を下さいというのにだれがさそりを与えるでしょう
してみると、あなたがたも悪いものではあっても
自分のこどもには良い物をあたえることを知っているのです
とすればなおさらのこと、天の父が求める人たちに
どうして聖霊を下さらないはずがありましょう』
と語られてから、おしの悪霊を追い出して聾唖者が言葉
うを言い始めますので、群集は驚きます
によって悪霊どもを追い出しているのだ
と言う者もいたり、またある者はイエス様をためそうとして
天からのしるしを求めます
こんな人たちにまたたとえで語られた後
『幸いなのは神の言葉を聞いてそれを守る人たちです』
と言われました
***この中で祈り方を詳しく語ってくださっているので
まず、お祈りしてみましょう、祈りもとめるとき
御言葉が生きた言葉として私たちの内側が変えられて
真理が見えてきますし、御言葉を守ることができるように
なります。頭だけで御言葉を理解しようとしても
理解できなくて、人を裁く道具にしてしまいやすい
という落とし穴にはまってしまうかもしれません
キーポイントは祈り求めることです・・・