礼拝

ekureshia2005-10-30

ルカの福音書11章1節〜28節(祈り求める時))

エス様があるところで祈っておられるとき

お弟子さんが(私たちに祈りを教えてください)とお願いします

祈るときにはこうお祈りしなさい、と言われます

『父よ、御名があがめられますように。

 御国が来ますように。

 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。

 私たちの罪をお赦しください。

 私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。

 私たちを試みに合わせないでください』

またある友達のたとえを語りお弟子さんたちに教えられます

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。

 そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば

 開かれます。だれであっても、求めるものは受け

 捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。

 あなた方の中で、こどもが魚をくださいと言うときに

 魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。

 卵を下さいというのにだれがさそりを与えるでしょう

 してみると、あなたがたも悪いものではあっても

 自分のこどもには良い物をあたえることを知っているのです

 とすればなおさらのこと、天の父が求める人たちに

 どうして聖霊を下さらないはずがありましょう』

と語られてから、おしの悪霊を追い出して聾唖者が言葉

うを言い始めますので、群集は驚きます

しかし彼らの中にはイエス様が悪霊のかしらベルゼブル

によって悪霊どもを追い出しているのだ

と言う者もいたり、またある者はイエス様をためそうとして

天からのしるしを求めます

こんな人たちにまたたとえで語られた後

『幸いなのは神の言葉を聞いてそれを守る人たちです』

と言われました


***この中で祈り方を詳しく語ってくださっているので

   まず、お祈りしてみましょう、祈りもとめるとき

   御言葉が生きた言葉として私たちの内側が変えられて

   真理が見えてきますし、御言葉を守ることができるように

   なります。頭だけで御言葉を理解しようとしても

   理解できなくて、人を裁く道具にしてしまいやすい

   という落とし穴にはまってしまうかもしれません

   キーポイントは祈り求めることです・・・