思い出日記

ekureshia2005-10-15

 幼い頃の記憶って、案外しっかりと覚えているものだな

 って関心するぐらい次々と浮かんでくる

 私の家の近くに小さなお店があって、そこに私と同じ位の

 年のおんなの子が、おばちゃん、このお菓子ちょうだい・・

 というと、お譲ちゃん、お父さんたちは元気にしとる

 という会話とともに、お金も払わずに持って帰っている

 すぐあとに、ある男の子がおばちゃん、これ、ちょうだい

 とすかさず言った、あんた、お金持ってこんと買えんよ・・

 と会話する???

 子供心に不思議だった、あとでわかったことは最初のおんなの子は

 町の資産家の娘だったということ・・・

 あと、小学校に入ってからフオークダンスというのが体育の時間で

 あるが、私が色が黒いだけで、(お前、手が汚いな〜)って言われて

 その時間が嫌いになった、

 人の言葉って心を傷つける言葉もあるんだなってつくづく思う

 逆に、そんな思いをしてきた私だから、言葉を大切に使おうと

 心がけてきたし、愛の言葉の必要性を感じてきた

 そんなわたしが結婚し、いい親になれたかというとそうでない 

 振り返ると私の子供に、こころを傷つけるような

 言葉を発してきていたことがあって、それを気がつかせてくれた

 のは私の子供だった、

 ある時、娘(泉)が家出した、主人も私も思い当たるところを

 くまなく探して見つからず、へとへとになっているとき

 私の友達から電話があった、娘がそこにいるという・・

 次の日、迎えにいって家出の原因を聞いた

 (父ちゃんと母ちゃんのけんかを聞くのがいややった、
  
 こんな家にいたくないと思った)

 ショックだった、経済苦のためとはいっても

 私たちの夫婦の会話が愛する娘を苦しめていたなんて・・

 それからは、子供たちの前でけんかするようなことはしまい

 と心に誓った、子供は宝物というが、本当になくてはならない

 かけがえのない宝物だと、心からそう思う

 のは、子供だった  

 私と似ているのか、長男の龍一がやはり小学校の頃、

 いじめという問題で、悩み辛い思いをして苦しんだようだ

 親もどうしてやることもできずにいた

 小学校の5年生のときの担任の出会いが、息子にとって

 大きな転換期となった

 いじめに対する問題と、真剣に向き合ってくれて

 2年間お世話になったが、この時の先生の恩を息子は

 29歳になる今でも忘れていなくて、時々、食事をともに

 することもあるぐらい親しくさせてもらっている

 親子ともに、先生にはお世話になるようになっている

 ものなのかと、不思議でならない
 
 次男も不思議な子だった、この子はいじめられることは

 なかった、幼い頃から人気もので、よくエリマキトカゲ

 のまねをしては、周囲の人々の笑いを誘っていた

 大きくなった今でも、自分はタレントになる・・といって

 都会に出て行った、その夢は実現していないが実に

 味のある個性的な子どもだと、親から見ても面白い

 一番下の三男は、これまた、おやに何度心配をさせたか

 わからない、登校拒否でも悩んだし、学校に行く途中で

 いなくなることもあって、そのつど、無事に見つかる

 のだが、その子ももう高校2年生になった

 最近はまじめに学校に通っているのでほっとしている

この思い出日記は過去を思い出すたびに書いていこうと思う