礼拝
町や村を次から次に旅をしておられました
12のお弟子さんも一緒です
以前の病気を治してもらった、多くの人たちも
一緒に、ついていきました
そこに、大勢の人の群れが集まり
方々の町からも、人々がみもとにやってきたので
イエス様は、たとえを用いてお話されました
@種をまく人が種まきに出かけた。蒔いているとき
1 道ばたに落ちた種があった、すると人に踏みつけられ
空の鳥が、それを食べてしまった
2 また別の種は岩の上に落ち、生えたが
水分がなかったので、枯れてしまった
3 また別の種は、いばらのまん中に落ちた、ところが
いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった
4 また別の種はよい地に落ち、生え出て百倍の実を結んだ
イエス様はこれらのことを話しながら
聞く耳のある者は聞きなさい、と叫ばれた
お弟子さんたちは、このたとえがどんな意味か
イエス様に、尋ねました
あなたがたに神の国の奥義を知ることが
許されていますが、ほかの者にはたとえで話します
彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです
たとえの意味はこうです、種は神のことばです
1 道ばたに落ちるとは
みことばを聴いたが、あとから悪魔が来て、彼らが
信じて救われることのないように、その人たちの心から
みことばを持ち去ってしまうのです
2 岩の上に落ちるとは
聞いたときは喜んで、みことばを受け入れるが
根がないので、しばらくは信じていても
試練の時になると、身を引いてしまうのです
3 いばらの中に落ちるとは
みことばは聞きはしたが、とかくしているうちに
この世の心づかいや、富や快楽によってふさがれて
実が熟するまでにならないのです
4 良い地に落ちるとは
正しい、良い心でみことばを聞くと、それを
しっかりと守り、よく耐えて実を結ばせるのです
このお話の最後に、イエス様が語られた言葉は
持っている人は、さらに与えられ、持たない人は
持っていると思っているものまでも、取り上げられるからです
***イエス様のたとえのお話はとてもわかりやすく、今の世の中の
全部の人たちも大きく分ければ、この四種類に分かれるのだなあ〜
と思います。私たち人間は幸せになりたいと願わない人は
だれひとり、ないと思うのに幸、不幸の分かれるには
どうしてか、ヒントになるものがここにあると思います
心の畑をいつも耕し、種を入れ、水や栄養を与える時
豊かな実を結ぶのですね・・要は畑を耕すことですね・・
@@@台風14号が九州上陸か?・・・って騒がれていますが
そんな中、今日は福岡へと向かいます。どうぞ
ひどい台風が来ませんようにお願いします
心でお祈りしながら、福岡に行く準備を始めた