礼拝

コリント人への第一の手紙15章38節〜58節(信仰の勝利者)

しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります

。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。また、天

上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽

の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。死者の復活もこれ

と同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによ

みがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだ

によみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。聖書に「最初の人

アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあっ

たのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出

て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似

ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持って

いたように、天上のかたちをも持つのです。兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神

の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義

を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに

、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるの

です。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないか

らです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」と

しるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはど

こにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主

イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く

立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむ

だでないことを知っているのですから。


***この世の中での勝利というのは、敵がいて、戦って相手を倒したとき、また競争の中で一番になったとき、

   そのような意味でとらえるでしょうが、信仰の勝利者とは、まったく違って、人を自分より尊い者として

   接する、一歩下がる勇気、全体の雰囲気をとらえ、最前の動きを最優先する、といった、神様が喜ぶ行動

   が出来る人は信仰の勝利者となるのです。