礼拝

コリント人への手紙14章20節〜39節(人生絵図)

兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方に

おいてはおとなになりなさい。律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちび

るによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」それで、異言は

信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は不信者でなく、信者のためのしるし

です。ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とか

がはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか。しかし、もしみなが預言をするなら

、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、心

の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでし

ょう。兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、

教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにし

なさい。もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい

。もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。預言

する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。もしも座席に着いている別の人に黙示が与えら

れたら、先の人は黙りなさい。あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶこと

ができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。

それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、教会で

は、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。もし何か

を学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。神のこ

とばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。自

分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。も

しそれを認めないなら、その人は認められません。それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。

異言を話すことも禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。


***すべての賜物も、すべての出来事も、すべての人も、みな、色にたとえられる。同じ賜物だけでも、同じ人

   たちだけでも、同じ出来事だけでも、世の中は成り立たない、さまざまな色が重なり合って、意味がある。

   すばらしい人生絵図が描かれるために、さまざまな人と出会い、さまざまな出来事に遭遇し、また、さまざま

   な賜物が其々の人に与えられている。色が偏るといい絵はできない。