礼拝

ローマ人への手紙7章19節〜8章17節(神の相続人)


私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分で

したくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪

です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見

いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異な

った律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこ

にしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を

救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、

この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、

キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によ

って無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子

を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、

肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。肉に従う者は肉

的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり

、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それ

は神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。けれ

ども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中に

いるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたの

うちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者

の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中

からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだを

も生かしてくださるのです。ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはい

ません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ない

を殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは

、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私た

ちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの

霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、

栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人

であります。


***心の中の古傷に悩まず、苦しまず、ただ神様を信じて、委ねて生きることを神は導いておられます。

   私たちは名もなき、取るにも足りない者ですが、神が選んでくださった神の相続人です。その自覚を

   もって歩んで行きましょう。