礼拝

ローマ人への手紙2章15節〜29節(神様のテスト)


彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。

彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁

明し合ったりしています。――私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによ

って人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。もし、あなたが自分をユダヤ

ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、みこころを知り、なすべきことが何であるか

を律法に教えられてわきまえ、また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、

盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのな

ら、どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は

盗むのですか。姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら

、自分は神殿の物をかすめるのですか。律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反

して、神を侮るのですか。これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされ

ている。」と書いてあるとおりです。もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし

、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。もし割礼

を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者と

みなされないでしょうか。また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字

と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。外見上

ユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえ

って人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼

です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。


***時に神様は定期的に、私たち人間にテストを用意し、与え、合格する者と不合格の者と

   に振いにかけ、より分けておられます。いつもテストに合格するように歩んでいきましょう。