礼拝

ヨハネ福音書11章1節〜29節(神の栄光)

さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。このマリヤは、主に

香油を塗り、神の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。そこで姉妹たちは、イエスのところに使

いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死

で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」イエスはマルタとその姉妹とラ

ザロとを愛しておられた。そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられ

た。その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。 弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たち

が、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。

だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちに

ないからです。」イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたし

は彼を眠りからさましに行くのです。」 そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」 しかし、

エスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。そこで、イエスはそのとき、は

っきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場

に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましよう。」そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。

「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっ

ていた。ベタニヤはエルサレムに近く、3キロメートルほど離れた所にあった。 大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。そ

の兄弟のことについて慰めるためであった。マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。マリヤは家ですわっていた。マルタはイエ

スに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。 今でも私は知っております。あなたが

神にお求めになることは何でも、神はあなたがたにお与えになります。」イエスは彼女に言われた。「私は、終わりの日のよみがえりの時に

、彼がよみがえることを知っております。」マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っ

ております。」イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きて

いてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが

世に来られる神の子キリストである、と信じております。」こう言ってから、帰って行って、姉妹マリヤを呼び、「先生が見えています。あ

なたを呼んでおられます」とそっと言った。マリヤはそれを聞くと、すぐ立ち上がって、イエスのところに行った。


***時に私たちの生活の中で、想像を超えるできごとが起こったりするとき、大勢の人が落ち込み、嘆き、悲しみますが、そのときが、

   逆に神の栄光が現われるチャンスの時でもあります。そのような状況におられる方は、そのチャンスをつかみましょう。