礼拝
テモテへの手紙第一1章11節〜20節(信仰の学び)
祝福に満ちた神の栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。
私は私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キ
リストは、私のこの努めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。私は以前は、
神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに、知らない
ことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信
仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。「キリスト・イエスは罪人を救うた
めにこの世に来られた。」ということばはまことであり、、そのまま受け入れるに値するもので
す。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリ
ストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対し
てこの上ない寛容を示してくださったからです。どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく
、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。私の子テ
モテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それ
は、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。ある人た
ちは、正しい良心を捨てて、信仰の破線にあいました。その中には、ヒメナオとアルキサンデル
がいます。私は彼らをサタンに引渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに
学ばせるためです。
***信仰の学びは奥が深くて、人間の良識をはるかに超えたところでなされる神のわざを理解
するには、聖書を何度も読み、祈り、愛の行動を積み重ねることでしか、悟ることは出来
ないと思います。今日の箇所も何度も繰り返し読むことによって、神の愛を深く理解する
ことができますので、お勧めしますね。