礼拝

コロサイ人への手紙2章11節〜23節(真理を知る)

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを

脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリ

ストとともに葬られ、また、キリストを死者の中から蘇らされた神の力を信じる信仰

によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、ま

た肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神はそのようなあなたがたをキリストと

ともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を許し、いろいろな定

めのために私たちに不利な、いや私たちを攻め立てている債務証書を無効にされたか

らです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神はキリストにお

いて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らの捕虜として凱旋

の行列に加えられました。こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるい

は祭りや新月安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりませ

ん。これらは次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。あなたがた

は、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうび

をだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによって

いたずらに誇り、かしらに結びつくことをしません、このかしらがもとになり、から

だ全体は、間接と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるの

です。もし、あなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れ

たのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わ

うな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて

、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのよ

うなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行のゆえに賢

いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、なんのききめもない

のです。


***世の中は惑わしと疑惑で満ちています。そんな中で、しっかりと神とつながり

   真理を見極めていきましょう。あらゆる方向から、やっきになって、私たちを

   神から遠ざけようとまことしやかに、やってきて私たちをだまそうとするので

   す。祈りをさらに深めていきましょうね。