礼拝
ピリピ人への手紙1章15節〜30節(すべてが益となる)
人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする
人もいます。一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てら
れていることを認めていますが、他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、
キリストを宣べ伝えており、投獄されている私たちをさらに苦しめるつもりなのです。する
と、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あら
ゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。
そうです。今からも喜ぶことでしょう。というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリス
トの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。それ
は、私がどういう場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにし
ても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私
の願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともま
た益です。しかし、もし、この肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶこ
とになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私はその二つのものの間
に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実は
そのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたの
ためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩
と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになること
を知っています。そうなれば私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関
するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。ただキリストの
福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また
離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたが
たは霊を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、また、どんなことがあって
も、反対者たちに驚かされることはないと。それは彼らにとっては滅びのしるしであり、あ
なたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。あなたがたは、キリス
トのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです
。あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦い
を経験しているのです。
***私たちの目の前に起こる理不尽なことも、イエス様が歩んだ十字架の道に繋がる栄光
の道を通過するための学びであると私は確信しています。今苦しんでいる方、悲しん
でおられる方に伝えたいのです。喜んでください。必ず神様が共にいて力をください
ます。あとは受け取るだけですよ。