礼拝

エペソ人への手紙4章1節〜15節(御霊の一致)

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく

歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍びあい、平和のきずな

で結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召され

たとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマ

は一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、す

べてのものの父なる神は一つです。しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従っ

て、恵みを与えられました。そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの

捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」この「上られた。」ということばは、彼がまず

地の低いところに下された、ということでなくて何でしょう。この下された方自身が、すべてのも

のを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。−こうしてキリストご自身が、

ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師または教師として、お立てになっ

たのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを立て上げるためであ

り、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人にな

って、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、こどもでは

なくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそば

れたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなる

キリストに達することができるためなのです。


***さまざまな信仰が多くありますが、キリストを主と告白できないものは一致することなく、

   不一致の霊として、惑わしや、策略の中で、なにが真実であるかを見つけることができませ

   ん。キリストを信じる者にも、この風や、波が覆いかぶさってきますが、それも、成長でき

   るチャンスで、ひとつひとつ信仰の階段を上っていくために、必要なことです。