礼拝
コリントへの第一の手紙15章1節〜18節(惑わしの霊)
兄弟たち。私たちは今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがた
に宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です
。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこ
の福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があ
なたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私が受けたこともあって、次のこと
です。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬
られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、そ
れから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に
現れました。その中の大多数の者は今もなお生き残っていますが、すでに眠った者もい
くらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われま
した。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました
。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜな
ら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私にな
りました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての
使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私の中にある神の恵みで
す。そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ
伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。ところで、キリストは死
者の中から復活された、と宣べ伝えられているなら、どうして、あなたがたの中に、死
者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キ
リストも復活されなかったでしょう。そしてキリストが復活されなかったのなら、私た
ちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質もないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、も
しもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずで
すが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからで
す。もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そ
して、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あな
たがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠っ
た者たちは、滅んでしまったのです。
***神は私たちを光の中で守ってくださるお方です。でも、人間は闇の世界に惑わさ
れ、翻弄し、苦しみ、怒り、闇の方へ向かう人が多いのです。惑わしの霊をしっ
かりと見分けていきましょう。そのためにはいつも自分の心をニュートラルにし
ておく必要があります。闇の世界の惑わしという落とし穴に落ちるのは、自分の
心に様々な欲望があるとき、その心に誘いをかけるように、惑わしてきます。し
っかりと、自分の心を見つめていきましょう。特に教会に力があればあるほど、
信じた人の心のスキをねらってきます。しかも巧妙に光の天使に化けてきます
から、しっかりと自分の心を常にチエックする必要があります。