礼拝

コリントへの第一の手紙7章20節〜40節(人間のあり方)

おのおの自分が召された時の状態にとどまっていなさい。奴隷の状態で召された

のなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、む

しろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人で

あり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。

あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません

。兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。処女

のことについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信

頼できる者として、意見を述べます。現在の危急のときには、男はそのままの状

態にとどまるのがよいと思います。あなたが妻に結ばれているなら、解かれたい

と考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけ

ません。しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありま

せん。たとい処女が結婚したからと言って、罪を犯すのではありません。ただ、

それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような

めに会わせたくないのです。兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は

縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。泣

く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない

者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしていなさい

。この世の有様は過ぎ去るからです。あなたがたが思い煩わないことを私は望んで

います。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。し

かし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分か

れるのです。独身の女や、処女は、身もたましいも聖くなるため、主のことに心を

配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配りま

す。ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あな

たがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生

活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。もし、処女である自分の娘の

婚期も過ぎようとしていて、そのままでは、娘に対しての扱い方が正しくないと思

い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪

を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。しかし、もし、心のうちに堅

く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行なうこ

とのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはり

っぱです。ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているの

であり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。妻は夫が生き

ている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結

婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。私の意見では、もし

そのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただ

いていると思います。


***人間(社会人)は独身でいる人と結婚している人に分かれますが、今日の

   箇所はキリストを信じて進む時、独身のほうが主に心を向けて進んでいく

   ことがたやすいことをパウロは述べていますが、だからといって結婚に対

   し、反対している訳ではなくて、その人それぞれの立場に応じた対処を、

   導いておられる箇所です。コリントの教会の人々から様々な質問がパウロ

   にあってその答えとなるものを手紙で書いておられます。結婚している人

   も、独身の人も、対処すべき事がらを述べているので参考になるところです。