礼拝

コリントへの第一の手紙6章1節〜10節(神の国の相続人)

あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、

あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるでしょうか。あなたがたは聖徒

が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさば

かれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを知らないのですか。それならこの

世のことは言うまでもないではありませんか。それなのに、この世のことで争いが起

こると、教会では無視される人たちを裁判官に選ぶのですか?私はあなたがたをはず

かしめるためにこう言っているのです。いったいあなたがたの中には、兄弟の間の争

いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。それで、兄弟

は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。そもそも、互いに訴え合

うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろだまされていないのですか。

ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのよ

うなことを兄弟に対してしているのです。あなたがたは、正しくない者は神の国を相

続できないことを知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を

礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に

酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。


***私たちクリスチャンは洗礼を受けて神の子とされました。しかし、長年罪の奴隷

   の中で生きてきた性質が急に変わるのではなく、栄光から栄光へと主と同じ姿に

   変えられていくと聖書の御ことばにあるように、内側に神様が宿ってくださるか

   ら、聖霊の導きの中で御ことばを霊の食べものとし、聖徒の交わりを深めていく

   ことで古い性質が薄皮をはぐように変えられていくものです。しかし、優先順位

   を主におかず、古い性質の感情のまま闇の世界に身を投じているなら、洗礼を受

   けていても神の国を相続することが出来ません。闇の世界に操られないように、

   共に仲間と祈りあいながら、進んでいきたいものです。