礼拝

使徒の働き16章18節〜40節(時が満ちる時)

幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に

イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。

すると即座に、霊は出て行った。彼女の主人たちは、もうける望みがなくな

ったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き

立てて行った。そしてふたりを長官の前に引き出してこう言った。「この者

たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私た

ちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」群衆もふた

りに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つよ

うに命じ、何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重

に番をするように命じた。この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ

、足に足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の

歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地

震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みな

も鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいて

いるので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようと

した。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここに

いる。」と叫んだ。看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラス

の前に震えながらひれ伏した。そしてふたりを外に連れ出して「先生がた。

救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。ふたりは「

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。

と言った。そして彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、そ

の夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そ

のあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふ

たりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じ

たことを心から喜んだ。夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「

あの人たちを釈放せよ。」と言わせた。そこで看守はこの命令をパウロ

伝えて「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしまし

た。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください。」と言った。ところ

パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを

、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それ

なのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんで

もない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」警吏たち

は、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちはふたりがローマ

人であることを恐れ、自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出

して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。牢を出たふたりは、ルデア

の家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。


***今日の箇所はパウロとシラスが捕らえられて牢にいる時、大地震

   があ起こって扉は開くし、鎖は解けるし・・・という神の御わざ

   がなされましたが、これはパウロたちをこの牢から助けるため、

   というよりも、この看守を救うための時が満ちてこの時がきたの

   ではないかと・・・それとパウロたちの祈り・・・にて・・・・

   おそらく平安の中で神を賛美しながら看守たちが救われるように

   祈っていたのではないかと・・・思います。どんな苦境にあって

   も人のために祈るというパウロたちの姿勢に心打たれる箇所です

   獄の扉が開いた時、自分中心の者であれば、我先にと逃げていた

   ことでしょう。逃げられる状況にありながらそうしなかったのは

   、看守のことを思っていたからに相違ないと・・・