礼拝

ヨハネ福音書18章20節〜40節(生まれることの意味)

エスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人が

みな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。

なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞い

た人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」イエスがこう言

われたとき、そばに立っていた役人のひとりが「大祭司にそのような答え方をするのか。」

と言って平手でイエスを打った。イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪

いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った。一方、シモン・ペテロ

は立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った。「あなたもあの人の弟子ではないで

しょうね。」ペテロは否定して「そんな者ではない。」と言った。大祭司のしもべのひとり

で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもい

うのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」それでペテロはもう一度否定し

た。するとすぐ鶏が鳴いた。さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて

行った。時は明け方であった。彼らは過越しの食事が食べられなくなることのないように、

汚れを受けまいとして、官邸にはいらなかった。そこでピラトは彼らのところに出て来て言

った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」彼らはピラトに答えた。

「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたがたに引き渡しはし

なかったでしょう。そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分

たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死

刑にすることも許されてはいません。」これは、ご自分がどのような死に方をされるかを示

して話されたイエスのことばが成就するためであった。そこでピラトはもう一度官邸にはい

って、イエスを呼んで言った。「あなたはユダヤの王ですか。 」イエスは答えられた。「

あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしの

ことを話したのですか。」ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同

国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」イエ

スは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであった

なら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。

しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。そこでピラトはイエスに言った。

「それではあなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あ

なたがいうとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世

に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」ピラトはイエスに言

った。「真理とはなんですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行

って、彼らに言った。「私はあの人には罪を認めません。しかし過越しの祭りに、私があな

たがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたの

ために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」すると彼らはみな、大声をあげて

「この人ではない。バラバだ。」と言った。このバラバは強盗であった。


***イエス様がこの世に生まれてくださったのは真理のあかしをするため・・・といわれ

   ました。十字架の上ですべての人類の罪の身代わりになることは神のご計画でした。

   このことが実現するためには、このような理不尽なことが許されてはじめてなること

   だとしたら、世の中の矛盾にも意味が見出せるかもしれません。このピラトの声に耳

   を傾け人々が納得したら、このことは実現しなかったことになります。生まれること

   の意味をもってきてくださったイエス様・・・私たちひとり、ひとり、にも生まれる

   ことの意味があってこの世に誕生したと思います。お互いにその意味を深く探ってい

   くと、より味わい深い人生観が見えてくるのではないでしょうか・・・