礼拝

ヨハネ福音書11章18節〜45節(死人がよみがえる)

ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。

大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて

慰めるためであった。マルタはイエスが来られたと聞いて迎えに行った。

マリヤは家ですわっていた。マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここに

いてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。今でも私は知っております。

あなたが神にお求めになることはなんでも、神はあなたにお与えになります。」

エスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」マルタはイエス

言った。「私は終わりの火のよみがえりの時に、彼がよみがえることを死っています。」

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は

死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことは

ありません。このことを信じますか。」彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は

あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じています。」こう言ってから、

帰って行って、姉妹マリヤを呼び、「先生が見えてます。あなたを呼んでおられます。」

とそっと言った。マリヤはそれを聞くと、すぐに立ち上がって。イエスのところに行った。

さてイエスはまだ村にはいらないで、マルタが出迎えた場所におられた。マリヤとともに

家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出ていくのを

見て、マリヤが墓に泣きに行くのだろうと思い、彼女について行った。マリヤは、イエス

おられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ、もしここに

いてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」そこでイエスは彼女が泣き、

彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、

心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。

「主よ、来てご覧ください。」イエスは涙を流された。そこでユダヤ人たちは言った。

「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」しかし「盲人の目を開けた

この方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。

そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、

石がそこに立てかけてあった。イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」

死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になります

から。」イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、

とわたしは言ったではありませんか。」そこで彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて

言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。わたしは、あなたが

いつもわたしの願いを聞いてくださることを死っていました。しかしわたしは、回りにいる

群集のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになる

ために、こう申したのです。」そしてイエスはそう言われると、大声で叫ばれた。 

「ラザロよ。出てきなさい。」すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで

出てきた。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。

「ほどいてやって、帰らせなさい。」そこでマリヤのところに来ていて、イエスがなさった

ことを見た多くのユダヤ人がイエスを信じた。


***死人がよみがえるという奇跡が起こりました。私たちもイエス様のことを信じていますが

   不可能はない、、、ということを頭で理解していても、どこかに人間の常識や今までの

   生活習慣が邪魔をして、しまうところがあるような気がします。マルタの会話のなかでも

   そんな場面がありますね。マルタがイエス様にすべてにおいて不可能はない、という

   信頼があり、信じますと答えていながら墓の石を取りのけようとしたとき、もう臭くなって

   います、、、という人間の常識が神の栄光を遠ざけることになりかねない、という

   ことを学ぶことができますね。しかしこれも頭で理解する段階ではなく、心の真髄にまで

   届くことが出来たらいいなと、最近特に思います。今年も今日で終わりますが一年を

   振り返っていろんなことがありました。おこるすべての出来事には意味があるし、そのこと

   を通して何かを得ることができました。新しい歳も地球に住む住む多くの人に神様のことば

   が届きますように、祝福がありますようにと祈り続けていきたいと思います。

   一年間、エクレシアの日記を愛読していただいた皆様に心より感謝いたします。

   新しい年も精一杯の祈りをささげていきたいと思います。