礼拝
わたしは、自分からは何事も行なうことができません。
ただ聞くとおりにさばくのです。そしてわたしのさばきは正しいのです。
わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを
求めるからです。もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの
証言は真実ではありません。わたしについて証言する方がほかにあるのです。
その方の私について証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。
あなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。
といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが
救われるために、そのことを言うのです。彼が燃えて輝くともしびであり、
あなたがたはしばらくのあいだ、その光の中で楽しむことを願ったのです。しかし、
わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしにお与えになった
わざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを
遣わしたことを証言しているのです。また、わたしを遣わした父ご自身がわたしに
ついて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声をきいたこともなく、
御姿を見たこともありません。またそのみことばをあなたがたのうちにとどめても
いません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。あなたがたは、
聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書がわたしに
ついて証言しているのです。それなのに、あなたがたはいのちを得るためにわたしの
もとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしは
あなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。わたしは
わたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。
ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたはどうして
信じることができますか。わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると
思ってはなりません。あなたがたを訴えるのは、あなたがたが望みをおいている
モーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。
モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を
信じなければ、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」
***今日のテーマは私たちの先祖が望むこと、というテーマでこの章をみてみました
私たちの先祖が望むことはなにか・・・私たちの先祖を悲しませてないか・・・
偶像を崇拝する人々がご先祖様と拝むことに、身を切り刻まれるぐらい
先祖が辛い思いをしていることを、理解できたら・・先祖が本当に願うことを
子孫がわかったら、先祖も安心するのになんと先祖を悲しませている人が
多いことか・・・先祖が一番に望むことはただ唯一の神を信じることなのに・・・