礼拝

ekureshia2006-09-03

ヨハネ福音書5章30節〜47節(私達の先祖が望むこと)

わたしは、自分からは何事も行なうことができません。

ただ聞くとおりにさばくのです。そしてわたしのさばきは正しいのです。

わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを

求めるからです。もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの

証言は真実ではありません。わたしについて証言する方がほかにあるのです。

その方の私について証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。

あなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。

といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが

救われるために、そのことを言うのです。彼が燃えて輝くともしびであり、

あなたがたはしばらくのあいだ、その光の中で楽しむことを願ったのです。しかし、

わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしにお与えになった

わざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを

遣わしたことを証言しているのです。また、わたしを遣わした父ご自身がわたしに

ついて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声をきいたこともなく、

御姿を見たこともありません。またそのみことばをあなたがたのうちにとどめても

いません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。あなたがたは、

聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書がわたしに

ついて証言しているのです。それなのに、あなたがたはいのちを得るためにわたしの

もとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしは

あなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。わたしは

わたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。

ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。

互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたはどうして

信じることができますか。わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると

思ってはなりません。あなたがたを訴えるのは、あなたがたが望みをおいている

モーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。

モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を

信じなければ、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」



***今日のテーマは私たちの先祖が望むこと、というテーマでこの章をみてみました

   私たちの先祖が望むことはなにか・・・私たちの先祖を悲しませてないか・・・

   偶像を崇拝する人々がご先祖様と拝むことに、身を切り刻まれるぐらい

   先祖が辛い思いをしていることを、理解できたら・・先祖が本当に願うことを

   子孫がわかったら、先祖も安心するのになんと先祖を悲しませている人が

   多いことか・・・先祖が一番に望むことはただ唯一の神を信じることなのに・・・