礼拝

ekureshia2006-06-18

ヨハネ福音書1章14節〜28節(恵とまこと)

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとからこられた

ひとり子としての栄光である。この方は恵とまことに

満ちておられた。ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。

「『私のあとから来る方は、私にまさる方である』と私が

言ったのはこの方のことです。」

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵の上に

さらに恵を受けたのである。

というのは、律法はモーセーによって与えられ、恵とまことは

イエス・キリストによって実現したからである。

ヨハネの証言はこうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人を

エルサレムからヨハネのもとに遣わして「あなたはどなたですか。」

と尋ねさせた。彼は告白して否まず、「私はキリストではありません。」

と言明した。また彼らは聞いた。「ではいったい何ですか。

あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」

「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた「違います。」

そこで彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした

人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」

彼は言った。「私は預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』

と荒野で叫んでいる者の声です。」

彼らはパリサイ人の中から遣わされたのであった。

彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、また

またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けて

いるのですか。」ヨハネは答えて言った。

「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの

知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来れれる方で、

私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」

この事があったのはヨルダンの向こう岸のベタニアであって、

ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。



***神様の恵とまことに満ちる時、本当の意味の幸せを実感する

   ことができます。今胎教が大事ということがさかんに

   言われますがイエスキリストと、ヨハネはこの胎のなかに

   いた時から出会っていて、キリストが聖霊によってマリアの

   胎に宿った時、ヨハネは母の胎の中でイエスキリストを

   感じ、喜び踊ったとあります。恵とまことに満ちた人は

   なんと幸いなことでしょう。このような人はいつも

   自分を低くし、謙遜で正しい物差しを持つことができるので

   人を導く器となっていくのであろうと私は思います。