礼拝

ekureshia2006-05-21

ルカの福音書22章47節〜71節(暗やみの力)

エス様がお話をしている時群衆がやってきました。

そのとき、十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に

立っていました。ユダはイエス様に口づけしようとして

みもとに近づきます。しかしイエス様は彼に

『ユダ。口づけで。人の子を裏切ろうとするのか。』

と言われました。イエス様の回りにいた者たちは

事の成り行きを見て(主よ。剣で撃ちましょうか。)といいます。

そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり

その右の耳を切り落としてしまったのです。するとイエス様は

『やめなさい。それまで。』と言われ、そして耳にさわって

彼を直してやられます。そして押しかけてきた祭司長、宮の

守衛長、長老たちに言われます『まるで強盗にでも向かうように

剣や棒をもってやってきたのですか。あなたがたは、わたしが

毎日宮でいっしょにいる間はわたしに手出しもしませんでした

しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。』

彼らはイエス様を捕らえ、引いていって、大祭司の家に

つれていかれます。ペテロは遠く離れてついていきました。

彼らは中庭の真中に火をたいて、みなすわり込んだので、

ペテロもなかに混じって腰を下ろします。すると女中が

火あかりの中にペテロの座っているのを見つけ、まじまじと

見て言いました。(この人もイエスといっしょにいました)

ところが、ペテロはそれを打ち消して「いいえ、私はあの人を

知りません)と言います。しばらくしてほかの男が彼を見て

{あなたも彼の仲間だ}と言い出してペテロは「いや違います」

と言いいます。それから一時間ほどたつと、また別の男が

[確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから]

と言い張ります。しかしペテロは(あなたの言うことは私には

分かりません。)と言ってしまいます。それといっしょに

彼が言い終えないうちに鶏が鳴きます。主が振り向いてペテロを

見つめられました。ペテロは『今日鶏が鳴くまでに、あなたは

三度わたしを知らないと言う』と言われた主のお言葉を思い出して

彼は外に出て激しく泣いてしまいます。

さてイエス様の監視人どもはイエス様をからかい、ムチでたたき

目隠しをして、(言い当ててみろ。今たたいたのはだれか。)

と聞いたりして、またさまざまな悪口をイエス様にあびせます

夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが

集まり、彼らはイエス様を議会に連れ出しこう言いました

(あなたがキリストなら、そうだと言いなさい)しかしイエス様は

言われます『わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、

わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。しかし

今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます』

彼らはみなで言います(ではあなたは神の子ですか)するとイエス様は

彼らに『あなたがたの言うとおり、わたしはそれです』と言われます

すると彼らは(これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が

彼の口から直接それを聞いたのだから)と言いました。


***イエス様が今はあなたがたの時です、暗やみの力です。

   と言われたように、この力が働くとまともな人々はおかしくなり

   イエス様ご自身が神の子であるにもかかわらず、それさえも

   分からなくなってしまう・・・しかしイエス様はご自身の

   みずからの光によって暗やみの力を打ち破ります。ここでは

   哀れなイエス様にみえるかもしれませんが、実は勝利しているのです

   あえて暗やみのど真ん中に突進していくかのように・・・

   言葉のわなにはまったように見えますが、勝利です・・・

   私たちの人生でも、かっこ悪いこと、負ける辛さ、さまざまな

   苦い体験、を経験しますが実はそれが人生の勝利への近道だったり

   することも多いのですよ・・・