命の流れ11(クリスチャン)

今から17年前の2月7日

あるクリスチャンの友が私に、素敵な教会があるのでいってみない?

と誘ってくれた。そこの牧師のお話がとっても面白くって

ためになるお話をしてくださるのよ・・・・と言う言葉につい

返事をしてしまった、生まれて初めての教会だった

慣れないふんいきに戸惑いながらも、不思議な感覚が

私を快くさせていた、牧師のある一言が私の耳を捉えた

心に悩みを持っておられる方は、このイエス様に祈ってみてください

必ず、あなたの祈りに答えてくださいます、と言っていた

言葉が印象的で、私は思わず、友達のお父さんのことを

夢中でお祈りした、その人は脊髄の癌で助かる見込みのない

といわれる中で、想像を絶する痛みの毎日が2ヶ月も続き

殺せ〜とわめく毎日、何度母が首に手を置きかけたか、わからない

と聞かされていた、(その方を助けてください、無理なら

この生き地獄から救ってください)そう祈った

その次の日、なんと痛みもなく安らかな顔で

両手を胸に組んで、息を引き取った、と聞かされ

全身に光が走ったような衝撃を覚えた、私は

神様の御力を知った、と同時に次の週の2月14日

導かれるままに洗礼を受け、神の子としての新しいスタートが始まった



命の流れ12(癌が消えた)


癌が消えた、後、数日の命といわれた人が助かった

歩けない人が歩けるようになった

難聴が治った、高血圧が下がった・・・・

このようなことは別世界の、テレビの中での出来事・・・

今までは、そう思っていた

ところが私の周りに、頻繁に起こるこのような出来事に

戸惑いを感じながらも、現実に起こる数々の奇跡に

それは、感動と喜びの日々となっていった

友人のご主人が癌で、あと2ヶ月の命と聞かされた時

私はたまらなくなって、奇跡が起こるといわれる

韓国の祈祷院へと向かった

周りの者から、行った事ある?韓国語わかるの?

いろいろ聞かれた、もちろん行ったことないし

韓国語もわからない、みんなあきれていた

とにかく、行くしかないと思った

飛行機に飛び乗ると、なんと隣の席に座った女性が

同じ祈祷院に行く人だった、おかげで迷わず行けた

神様が、助け人を用意してくれたのだと思った

着いた祈祷院で、真剣に祈った

なん日も、なん日も祈った

韓国から帰ってから、私が変わったような気がしてならない

私の体が私であって、私でないような

不思議な感覚、神様がともにいてくれる

そんな毎日がはじまり、奇跡が私の前で起こるようになった

癌が消えたときは、病院の先生も喜んで

病院が発行している新聞の、記事に載せたいと語っていた

頼まれて、集中治療室に何度いったことかわからない

ここ数日の命、といわれた人たちに奇跡が起こる

私は、こんなに人に喜んでもらえる毎日を

過ごすことが出来るなんて、夢のようだった

幼少時代、生まれてこなければよかったと

思えるほど、辛かった日々がうそのように

今は人との出会いが楽しくて

人に喜んでもらえることが、私の幸せとなっている

もっと多くの、苦しんで折られる方たちのために

役に立てる者でありたい、そんな思いで

日々の新しい出会いに、今日も感謝しつつ

祈りの毎日を過ごす、今日この頃・・・・・


命の流れ13(痴呆症)


主人の母が痴呆症になった時、いちばん下の子は

まだ二歳、郵便物がなくなる、財布がない

なべを焦がす、初めてのことばかりで

戸惑うこともしばしば、このままでは仕事も無理・・・

子供を保育園に預けて、仕事を見つけないと

経済苦を乗り越えることが出来ない

そう思って、職探しをしていた私だが

その道も塞がれてしまった

オムツを、覚えず、はずしてしまい

布団、じゅうたんを何度、取り替えたことか・・・

ある日、市の職員が用事で、我が家にこられた時

あまりの凄さに驚いて、奥さん、おばあちゃんを

施設に相談して、預かってもらったらどうですか

といってくださった。私は出来るだけ、母の希望を

最優先してあげたかったので、何とか頑張ってきたけれど

もう、限界かな〜と思っていた矢先、ありがたい助言だった

市役所の方が、教えてくださった保養院に、早速

入所できて、私も仕事をしながら、保養院に顔を出す

という日々が始まったが、家で介護していた時と

比べると、はるかに精神面が楽だった

おまけに母は、私と愛称がいい

今から十年前に、この世を去るまで

母は、私の名前だけは忘れなかった

主人は、俺の名前も思い出せないのに、まいったな

と日々、苦笑いしていた

この痴呆症の母を、介護することが出来て

最後まで、心の交流が出来て、本当に良かった

いつもにっこり、笑顔で、天使のような顔で

この世の、卒業式を迎えたのです

心の中で、その母のために、イメージの卒業証書を手渡しました

母はにっこり、ほほえんで、その卒業証書を

受け取ってくれたような気がして、

私の心は、涙でいっぱいになりました


命の流れ14(キリスト教大友宗麟 大友能直


1993年10月13日、この日私にとって一生を大きく変える導きの

出来事が起こった、空からの光とともに、声がした

大自然のすべてがあなたの味方

神の恩恵を受けたすべてのものが、あなたを守る

あなたはそれを、体で、心で、思うままに感じるがいい

たとえあなたが、どんなに苦しいときであっても

悲しい時であっても、それはすぐに喜びに変わるであろう・・・

そのあと、主の花嫁、主の花嫁・・・と

断片的な言葉が繰り返し語られた

教会と言う意味があるらしい(主の花嫁)

なぜ、この断片的な言葉がわたしに語られるのか

意味がわからないまま、数年が過ぎ

末期がんの方を助けたくて、韓国の祈祷院に行った時

はっきりとその意味を知らされた

わたしの羊を牧しなさい・・・とのみ声を聞いた

わたしが教会の牧師なんて・・・とんでもない

わたしは出来ない、今のは間違いがったに違いない

半年間が過ぎ、とうとうその道しか残っていない

状況に追い込まれて、やっと決心し、1997年1月1日

教会のスタートとなった

教会名はなんと付ければいいのか、祈ってみた

光のエクレシアと語られた

どういう意味か調べてみたら、呼び集められたもの

と言う意味だった、神様が呼び集めてくださる

のだったら、やっていける、そう思ってのスタートだった

それにしても、人生はわからないものだとつくづく思う

幼い頃、いじめられながら、生きていたくない、死にたい

と思って、いつも泣き虫の私だったのが

まさか牧師になるなんて・・・

しかもわたしが生まれたのが神社の中で

そこに祭られている関係の人に大友能直という人物がいる

大友宗麟の先祖で、平安時代に活躍した人のようだ

この時代、多くの人が疫病で苦しんでいたとき

大友能直が癒しをもって多くの人を助けた・・・とある

今わたしは同じように病気で苦しむ方のために

走り回っている、なんだか、とっても不思議

さらに驚いたことは、大友能直が生前住んでいたところ

に今偶然わたしが住んでいる、めぐりめぐって、と言う言葉

があるが、今わたしがこの世に生まれてきたことの意味

を悟ることが出来て、心の底から湧き上がる喜びとともに 

生きていて、本当によかったと思う今日この頃である