礼拝

ガラテヤ人への手紙1章1節〜23節(天国への道)

使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく

イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。および私とともにい

るすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと

平安があなたがたの上にありますように。キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの

罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。どうか、こ

の神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださ

ったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音

といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音

を変えてしまおうとしているだけです。しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ

伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たちが前に言ったよ

うに、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝

えているなら、その者はのろわれるべきです。 いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に

、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おう

とするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が

宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもし

ませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は

、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また

私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱

心でした。けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子

を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、

先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。それか

ら三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。しかし、主の兄弟ヤコ

ブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。私があなたがたに書いていることには、神の御前で

申しますが、偽りはありません。それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。しかし、キリスト

にあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。けれども、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅

ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている。」と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。


***天国へ行く道(門)は狭く見出す者が少ない、と聖書にあります。滅びに至る門は広い、そこに行く者が多

   いと書かれています。せっかくイエス様を信じた人たちまでもが、惑わされ、滅びの道に向かうなんて、

   パウロはなんとしてもその人たちの心を救いたいという思いで手紙を書いたのでしょう・・・