礼拝
コリント人への手紙第一7章1節〜22節(心の洗濯機)
さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。
しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。
夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。妻は自分の
からだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権
利を持ってはおらず、それは妻のものです。互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに
専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいませ
ん。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。以上、私の言うところは
、容認であって、命令ではありません。私の願うところは、すべての人が私のようであることです。
しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があ
ります。次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それが
よいのです。しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚す
るほうがよいからです。次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻
は夫と別れてはいけません。――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解する
か、どちらかにしなさい。――また夫は妻を離別してはいけません。次に、そのほかの人々に言いま
すが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょに
いることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がい
っしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻に
よってきよめられており、また、信者でない妻も信者の夫によってきよめられているからです。そう
でなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現にきよいのです。しかし、
もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信
者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを
召されたのです。なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、
夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。ただ、おのおのが、主からいただい
た分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての
教会で、このように指導しています。召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはい
けません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。割礼は
取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。おのおの
自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしては
いけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召
された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷
だからです。
***コリントの人々からの手紙を見てパウロが返信している手紙の内容ですが、心にはさまざまな
汚れ、こだわりがあり、それを綺麗にするには、効果のある洗剤となるような適切なことばが
必要で、汚れがひどいほど、強く回す、何かいも洗う必要があります。