礼拝

使徒の働き4章1節〜15節(聖霊に満たされるということ)

彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、

エスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、 彼らに手をかけて捕えた。そして翌日まで留置することに

した。すでに夕方だったからである。しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。翌日、民の指導

者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな

出席した。彼らは使徒たちを真中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。

」と尋問しだした。 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。 私たちがき

ょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであ

るなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、

あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建

てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありませ

ん。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」彼ら

はペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、

ということがわかって来た。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。


***聖霊に満たされるということは、どういうことなのか、以前のペテロとはどこが違うのか、を、見ていきましょう。以前のペテロ

   は死を恐れていました。聖霊に満たされるとは、死の恐怖をも取り去り、神に100%信頼し、委ねることが出来るということ。

   聖霊に満たされた生活をしていきましょう。