礼拝
ルカの福音書8章16節〜26節(信仰の階段)
あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。
はいって来る人々に、その光が見えるためです。隠されているもので、あらわにならぬものはなく、秘密に
されているもので、知られず、また現われないものはありません。だから、聞き方に注意しなさい。という
には、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでもとりあげられ
るからです。イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群集のためにそばへ近寄れなかった。そこでイエス
に、「あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、、外に立っています。」という知らせがあ
った。ところが、イエスは人々にこう答えられた。「わたしの母、兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う
人たちのことです。」そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに船に乗り、「さあ、湖の向
こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。船で眠っている間にイエスはぐっすり眠っ
てしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで
彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエ
スは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると、風も波も治まり、なぎになった。イエスは
彼らに「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風
も水も、お命じになれば従うとは、いったいこのお方はどういうお方なのだろう。こうして彼らは、ガリラ
ヤの向こう岸に着いた。
***私たちは生まれてから死ぬまでの人生で、多くのことを学びながら信仰の階段を上っていきます。で
も信仰の階段があることさえ、知らずに自分勝手に生きる人がいることを神様は悲しんでおられます
。しっかり福音を伝えていきましょう。