礼拝
マタイの福音書10章21節〜42節(神の道)
兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名の
のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。彼らがこの町であなたが
たを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来ると
きまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。弟子はその師にまさらず、しもべはその主
人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長
ベルゼベルと呼ぶくらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。だから彼らを恐れてはいけません
。おおわれているもので、現されないないものはなく、隠れているもので知らずに済む者はありません。わたしが暗やみ
であなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上でいい広めなさい。からだ
を殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘ
ナで滅ぼすことの出来る方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも
、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられてい
ます。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。ですから、わたしを人の前
で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと
言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。わたしが来たのは地に平
和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしはへいわをもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来た
のです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さら
に家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、 わたしよりも息子や娘を愛するものはわたしにふさわしい者ではありません。自分のじゅうじかを負ってわたしについて
来ない者はわたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自
分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。あなたがたを受け入れる者はわたしを受け入れるのです。また、 わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言
者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。わたしの
弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一敗でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人
は決して報いに漏れることはありません。
***信仰の世界は光と闇の戦いです。試練に耐え忍んだ者に与えられる栄光の冠をいただくことができるように、進ん
でいきたいものですね。惑わしに惑わされないように更に祈りを深めていきましょう。