礼拝

ペテロの手紙第一3章10節〜22節(義人の祈り)

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う人は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして

偽りを語らず、悪から遠ざかって膳を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。主の目は義人の上に

注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」もし、

あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。いや、たとい義のため

に苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を

同様させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そしてあなた

がたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていな

さい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリス

トにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでし

ょう。もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよ

りよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったの

です。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くため

でした。その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです

。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊

たちのことです。わずか8人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、

今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除く

ものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。キリスト

は天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。


***神から認められる正しい生き方をしていきましょう。義人の祈りは神に通じるという喜びを、

   自分の喜びとできるように・・・・