礼拝

ヘブル人への手紙11章21節〜40節(信仰の学び)

信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフのこどもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに

寄りかかって礼拝しました。信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分

の骨について指図しました。信仰によって、モーセは忌まれてから、両親によって三ヶ月の間隠されてい

ました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。信仰によって

モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、む

しろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼はキリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝に

まさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。信仰によっ

て、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び

通したからです。信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過ぎ越しと血の

注ぎを行ないました。信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に航海を渡りました。エジプ

ト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいまいた。信仰によって、人々が七日の間エ

リコの城の周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たち

を穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを恐れました。これ以上何を言いま

しょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても

話すならば、時が足りないでしょう。彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束

のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し,剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士と

なり、他国の陣営を陥れました。女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。また他の人たち

は、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。また、ほ

かの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で

打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊や、やぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり

、悩まされ、苦しめられ、−この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。−荒野と山とほら穴と

地の穴とをさまよいました。この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは

得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが

私たちと別に全うされるということはなかったのです。


***いつの時代も神を信じる者とそうでない者とに分かれます。信じる者の信仰の道は常に学びがあり

   、真理を学びながらさらに奥深く悟ることのできるように、悟りの道を用意してくださるのですね

   。イエス様がいなければそれも不可能ですが・・・・・