礼拝

テサロニケ人への第一の手紙4章13節〜5章11節(光の子ども)

眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。

あなたがたが他の望みのない人たちのように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエス

が死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠

った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言い

ますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するような

ことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、

ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に

、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主

と会うのです。このようにして、私たちは、、いつまでも主とともにいることになります。こう

いうわけですから、このことばをもって互いに慰めあいなさい。


兄弟たち。それらがいつからなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに

書いてもらう必要がありません。主の日が盗人のように来るということは、あなたがた自身がよ

く承知しているからです。人々が平和だ。安全だ。と言っているそのようなときに、突如として

滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に海の苦しみが望むようなもので、それをのがれる

ことは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にいないのですから、そ

の日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の

子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように

眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うか

らです。しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いのかぶととしてか

ぶって、慎み深くしていましょう。神は、私たちが御怒りにあうようにお定めになったのではな

く、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。主が私たちのため

に死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためで

す。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励ましあい、互いに徳を高めあいなさ

い。


***主を信じる私たちは光のこどもとしてふさわしい生活を心がけていきましょう。目をさま

   して主の日を待ちましょう。みことばをいっぱい蓄えましょう。みことばは魂を救う力が

   あります。