礼拝
コリントの手紙第一1章1節〜1節(世の中を惑わすもの)
神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと兄弟ソステネ
から、コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を
、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イ
エスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべ
ての人々の主です。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があな
たがたの上にありますように。私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えら
れた神の恵みののゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というの
は、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって
豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中
で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく
、また熱心に私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、
最後まで堅く保ってくださいます。神は真実であり、その方のお召しによって、あな
たがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。さて
、兄弟たち。私は私たちの主イエス・キリストの御名によってあなたがたにお願いし
ます。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に
保ってください。実はあなたがたのことを、クロエの家の者から知らされました。兄
弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、「私はパウ
ロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているという
ことです。キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのは
パウロでしょうか。あなたがたがばつぺすまを受けたのはパウロの名によるのでしょうか
。私はクリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマをサズケタことがない
ことを感謝しています。それはあなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われ
ないようにするためでした。私はステパノの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほ
かはだれにも授けた覚えはありません。
* **新年おめでとうございます。今年最初の礼拝のテーマが世の中を惑わすもの・・・
です。この聖書箇所のところでもキリストを信じる人たちの間で惑わすものが、
人々の心に入り込んでその仲間のひとつとなったエネルギーを分散させようとし
てきます。今の世の中も同じように神を信じていく人たちの心を惑わし、力を分
散させるものがあり、それによって人と人が憎みあったり、国と国が対立したり
醜い世の中になっていきます。本来神様もおひとりしかいないのに、この惑わす
もののしわざで世の中にはなんと多くの神々が造られたことであろうか・・・・
私たち人間のエゴがそのような世の中にしてしまったのだと思われてならない。
今年一年、ひとりでも多くの人が本来の神に立ち返っていくようにと、切なる祈
りをささげていかないと、という思いに駆られています。