礼拝

ローマ人への手紙8章14節〜25節(神の相続人)

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人をふたたび

恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受け

たのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子ど

もであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに

受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストと

の相続人であります。今の時の苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄

光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の

子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは被造物が虚無に服したのが自

分の意思ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物

自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられま

す。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをし

ていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私た

ち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのか

らだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われてい

るのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを

、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私

たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。


***私たちは神の相続人として、この世の目に見える常識の仲にではなく、目に

   見えない常識をはるかに超えた神様の恵の世界を知らせたいです。滅びの中

   の束縛で苦しんでいる人たちに・・・・









     とりなしの祈り

今癌の末期の方のためのお祈りを捧げているが1カ月前から断食の祈りまでは無理だけど肉、魚、ご飯を断っての祈

りを続けている。 周りの人からいつまで続けるの?と聞かれる時があるー辛くない?とか、そんなことして体壊す

よ、とか・・・でも私以上に癌と戦う本人とその家族の方の苦しみは想像を絶するものであろうーと思う時、私のこ

の祈りは辛いという思いすらないほど祈りに力がこもる。しかし今日ふ〜と何気なく計った血圧が上が78に下がっ

ていたのはショックでやはりこのせいなのかーと一瞬心が揺らいだが祈って、すぐ心に平安が与えられた。引き続き

祈りを続行しようと改めて闘志がわいた。必ずその方の上に神様の御技が顕されますように.