礼拝

ekureshia2007-01-06

ヨハネ福音書11章46節〜57節(時を待つ)

しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところに行って、

エスのなさったことを告げた。そこで祭司長とパリサイ人たちは

議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が

多くのしるしを行なっているというのに。もしあの人をこのまま

放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。

そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取る

ことになる。」しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であった

カヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。」

ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたに

とって得策だということも考えに入れていない。」ところで、このことは

彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエス

国民のために死のうとしておられること、また、国民のためだけでなく、

散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられる

ことを、予言したのである。そこで彼らは、その日から、イエスを殺す

ための計画を立てた。そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と

歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという

町にはいり、弟子たちとともにそこに滞在された。さて、ユダヤ人の過越の

祭りの祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越しの

祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。彼らはイエスを捜し、宮の

中に立って、互いに言った。「あなたはどう思いますか。あの方は祭りに

来られることはないでしょうか。」さて、祭司長、パリサイ人たちはイエス

捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければ

ならないという命令を出していた。


***イエス様は人類の身代わりになることのために、生まれてきてくださいました

   この場面でもイエス様を殺そうとする人がいましたが、まだ時が来ていません

   イエス様はいつでも、必ず時を待って行動します。ラザロのときもそうです。

   決してあわてず、時が来たとき、動きます。私たちも、この時をつかんで

   進んで行きたいものですね。