礼拝
証言しておられたからである。そういうわけで、イエスが
なされたすべてのことを見ていたからである。
ぶどう酒にされたところである。さて、カペナウムに
病気の息子がいる王室の役人がいた。この人はイエスが
へ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。
息子が死にかかっていたからである。そこでイエスは
彼に言われた。「あなたはしるしと不思議を見ないかぎり
、決して信じない。」その王室の役人はイエスに言った。
(主よ、どうか私の子どもが死なないうちに下って来て下さい。)
イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は
直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて
、帰途についた。彼が下っていく途中、そのしもべたちが
彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、(きのう
七時に熱がひきました。)と言った。それで父親は、イエスが
、「あなたの息子は直っている。」と言われた時刻と同じで
あることを知った。そして彼自身と彼の家のものがみな信じた。
またこのことを、第二のしるしとして行われたのである。
***今日はイエス様の対応のしかたがいつもと違うようです
役人の子どもが死にかかっていて、来て祈って欲しい
と懇願されて、今までのイエス様でしたら、すぐに
駆けつけて、お祈りされたはずですが、ここでは
「あなたがたはしるしと不思議を見ないかぎり、決して
信じない。」ときびしい言葉をなげかけています。
この言葉によって、おそらくこの役人の心は砕かれ
イエス様が行ってくれなくても、言葉を信じることが
出来たのだと、思います。私たちは言葉を発しますが
言葉の意味するものを察することの出来る人でありたいし
、また人の心の奥を察して、適切なことば、いやしの
ことば、また心が間違っていたら、気付きを与える愛の
ことばを投げかけてあげたい・・です。