礼拝
イエス様が私を裏切る者がこの中にいます・・・っと語られて
お弟子さんたちが互いに議論を始めます。そんなことをしよう
としているのは、いったいだれなのかと・・・また彼らの間には
、この中でだれが一番偉いのかという論議も起こります。するとイエス様
は彼らに言いました。『異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に
権威を持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それでは
いけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のように
なりなさい。また治める人は仕える人のようでありなさい。
食卓に着く人と給仕をする者と、どちらが偉いでしょう。むろん食卓に
着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって、給仕を
する者のようにしています。けれどもあなたがたこそ、わたしの
さまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。
わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしも
あなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国で
わたしの食卓に着いて食事をし、王座について、イスラエルの
十二の部族をさばくのです。
シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のように
ふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたの
ために祈りました。だからあなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけて
やりなさい』
シモンはイエス様に言います・(主よ、ごいっしょになら、牢で
あろうと、死であろうと、覚悟はできております)
しかしイエス様は言われます。『ペテロ。あなたに言いますが
今日鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います』
***この箇所でも多くのことを学ぶことが出来ます
この世の偉い人と神の国から見た偉い人とは大きな違いがある
ということ、イエス様ご自身も仕える人となられたこと
またイエス様を見捨てて逃げるペテロに対しての愛も感じれれる
人間の弱いところも含めて理解し包み込む心の広さをわたし達人間
も見習いたいところだと、痛感する。人は自分によくしてくれる人
には心も寛大になれるが、自分を裏切る、見捨てる、人には
心が荒れたり、恨んだり、となりがちだ・・・
聖書の御言葉にたくさん触れて、心の栄養を蓄えて、神の国に
ふさわしい者を呼ばれる者になりたいものです・・・