礼拝

ekureshia2006-04-09

ルカ21章1節〜4節(尊い献金

エス様が目を上げてごらんになると、金持ちたちが

献金箱に献金を投げ入れていました。また、ある

貧しい一人暮らしの女性が、そこにレプタ銅貨二つ(生活費

の全部)を投げ入れているのをごらんになり、

それでイエス様は言われました。〔わたしは真実をあなたがたに

告げます。この貧しい女性は、どの人よりもたくさん

投げ入れました。みんなは、あり余る中から献金

投げ入れたのに、この女性は乏しい中から、持っていた

生活費の全部を投げ入れたからです。



***昔から聖書の中に得た収入の十分の一を捧げるように

   という箇所があり、その教えに従って神様を信じる

   人たちが親から子へ、孫へと語り継がれてそのこと

   も守られてきている中で、この金持ちの人たちは

   あり余る中からの献金を投げ入れて、自負していたのでは

   ないか、と思われるがこの貧しい女性は生活費の全部を

   捧げたということを強調しています。

   もしかして、この金持ちの人が今の現在に置き換えて

   100万の月収もらっていたとして、投げ入れた献金

   5万であったら、十分の一から遠いものとして神様は

   その人の心に従って自然の摂理の中で、この人のマイナス

   分を、違う形でとられてしまうようになるだけ・・・

   神様が取るのではなくて、節理の中のプラマイで

   自然界の中の大型コンピューターが自動的に作動している

   様なものだと、私は思う

   しかし人々から見るとすごいたくさんの献金をして・・・

   と尊敬の目が注がれる。つまりいつの間にか神様に

   感謝して捧げるはずの献金が、人々に見せるための

   ものに変わってしまっている。

   以前阪神大震災があった1月17日のことが脳裏に浮かぶ

   給料日前の一週間の時、生活費の全部を被災地のために

   送って、財布の中はゼロだったにも関わらず

   すごい奇跡が起こって一週間の生活が守られた

   ということを思い出した。神様は真実なお方です

   この聖書の中の女性も生活費の全部を捧げたとありますが

   その後のこの方の生活は祝福されたことでしょう

   でもひとつ、いろんな宗教が今の時代はびこって

   宗教団体自体が、金儲けに走っているところもあるので

   見極める必要があると思います