礼拝
その都のために泣いて言われました
『おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知って
いたのなら、。しかし今は、そのことがお前の目から
隠されている。やがてお前の敵が、おまえに対して塁を築き
回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその
中のこどもたちを地にたたきつけ、お前の中で、1つの石も
他の石の家に積まれたままでは、残されない日が、やってくる
それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ』
都に入られたイエス様は、商売人たちを追い出し始め、こう
言われます。『(わたしの家は祈りの家でなければならない)
と書いてある。それなのにあなたがたはそれを強盗の巣に
した』イエス様は毎日宮で教えておられました。その時
祭司長、律法学者、民のおもだった者たちはイエス様を
殺そうとねらっていましたが、どうしてよいかわかりません
なぜなら民衆がみな熱心にイエス様のお話に耳を傾けて
いたからです
あまりにも無知で神様を知らない人たちや、神を神とも
思わなくて宮で商売をする人たちを嘆いての涙ではなくて
この人たちの招く結果がエルサレムの悲劇につながること
への悲しみ・・・というか一言で言い表すことのできない
ほどの涙であろう・・と感じます。イエス様は未来をも
わかる方ですから、やがてエルサレムがローマ軍によって
滅ぼされてしまう・・ということもわかってて、どんなに
やるせない気持ちであっただろうか・・とイエス様のお気持ち
を思うと、2000年の時を超えて今私の心が震えます
今の時代も同じように、やがて来るであろう滅亡の時代を
秒読みで数えるような時代でありながら、信仰という名の
もとに金儲けに走る者、政治家の汚職、凶悪な事件が後を
絶たない。私たちはこのような時代にあってどのように
祈り、生活していけばいいのだろうか・・・あまりにも
大きくて、奥の深い問題にただただ心が痛むこの頃です