礼拝

ekureshia2006-03-19

ルカの福音書19章39節〜48節(エルサレムと祈りの家)

エルサレムに近くなった頃、都を見られたイエス様は、

その都のために泣いて言われました

『おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知って

いたのなら、。しかし今は、そのことがお前の目から

隠されている。やがてお前の敵が、おまえに対して塁を築き

回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその

中のこどもたちを地にたたきつけ、お前の中で、1つの石も

他の石の家に積まれたままでは、残されない日が、やってくる

それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ』

都に入られたイエス様は、商売人たちを追い出し始め、こう

言われます。『(わたしの家は祈りの家でなければならない)

と書いてある。それなのにあなたがたはそれを強盗の巣に

した』イエス様は毎日宮で教えておられました。その時

祭司長、律法学者、民のおもだった者たちはイエス様を

殺そうとねらっていましたが、どうしてよいかわかりません

なぜなら民衆がみな熱心にイエス様のお話に耳を傾けて

いたからです



***イエス様はエルサレムを見られて涙を流されましたが

   あまりにも無知で神様を知らない人たちや、神を神とも

   思わなくて宮で商売をする人たちを嘆いての涙ではなくて

   この人たちの招く結果がエルサレムの悲劇につながること

   への悲しみ・・・というか一言で言い表すことのできない

   ほどの涙であろう・・と感じます。イエス様は未来をも

   わかる方ですから、やがてエルサレムがローマ軍によって

   滅ぼされてしまう・・ということもわかってて、どんなに

   やるせない気持ちであっただろうか・・とイエス様のお気持ち

   を思うと、2000年の時を超えて今私の心が震えます

   今の時代も同じように、やがて来るであろう滅亡の時代を

   秒読みで数えるような時代でありながら、信仰という名の

   もとに金儲けに走る者、政治家の汚職、凶悪な事件が後を

   絶たない。私たちはこのような時代にあってどのように

   祈り、生活していけばいいのだろうか・・・あまりにも

   大きくて、奥の深い問題にただただ心が痛むこの頃です