礼拝

ルカの福音書11章29節〜54節(内側の光)

エス様が多くの群衆に向かって語っておられました

旧約聖書の時代のヨナやソロモンたちのことを

お話しながら、あかりのたとえ話をしてくささいました

『あかりをつけてから、それを穴倉や枡の下に

おく者はなく、燭台の上に置きます。その光が見えるためです

からだのあかりはあなたの目です。目が健全ならあなたの全身も

明るいが、目が悪いとからだも暗くなります。

だからあなたの内の光が、暗やみにならないように

気をつけなさい。もしあなたの全身が明るくて

何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて

あなたを照らすときのように明るく輝きます』

その後ひとりのパリサイ人から一緒に食事をしてください

と頼まれて、その人の家に行きますがイエス様が食事の前の

手を清めることをしないのを見て、冷ややかな目でみながら

驚きの表情を見せたりします

そのような心の人たちに向かってイエス様は厳しいものさし

の基準で気づきのための言葉を発しますが

侮辱されているとしかとらず、イエス様に対する

敵対の心が広がり、いいがかりをつけようと

ひそかに計ったりするようになっていきます


***イエス様に敵対する人たちはこの世の時代では

   イエス様が現れるまでは人々から尊敬されて
 
   いた人たちで、イエス様が現れてから、人気はイエス様に

   移行していくのをねたみ、このような行動にでるように

   なったと思われる、つまり偽善者で、内側の光ではなく

   外側の光で、いい人に見せかけていただけ

   人間は内側が大事・・・内側の光が輝いていれば

   どんなに誤解されても、非難されても

   真理の道を進むことができる、内側の光を燈し続けよう