ekureshia2005-05-10



命の流れ1(醜いアヒルの子)



私が母のお腹の中にいる時のこと

私のおじいちゃんがいきなり母に、生まれてくる子
がおんなの子だったら、色の黒い子はいらんぞ〜って
いった。私はお腹の中でとても悲しくなった。

私はいらん子?、わたしは生まれん方がいいのかな?
一日、一日、生まれる日が近づいていく

日々不安、、、生まれてからおじいちゃんに
嫌われるくらいなら生まれたくないのに、時間は
進んでいく。こんな色の黒い子が生まれたら母が、おじいちゃんに
いやみを言われて辛いかも、、、お母さんごめんね・・・

とうとうこの世に誕生する瞬間が来てしまった。
せめて母が苦しまないよう安産で出産できるよう
精一杯の努力をしよう。こうして1952年4月11日

生まれつき色の黒い醜いアヒルの子のような私が誕生し                試練の人生のスタートが始まったのである。  




命の流れ2(貧乏と言う逆境の中で)

私の命の誕生の舞台となったのは、とある神社の境内の中

願いどうり、母を悲しませることなく安産で生まれた私。

しかしおじいちゃんの言葉に反して,色の真っ黒な私が生まれ

これからが苦悩の日々の連続であった。なんともいいようが

ないくらい貧乏で、しかも母の体調も悪く母乳が出ない

ミルクを買うお金もない。そんな中で母はお米の研ぎ汁に砂糖を

混ぜて飲ませてくれる、それがミルクの代わりだった。

しかし、栄養面が足りないのか、すぐ熱を出しては母を

困らせていた。病院にかかるお金もない中で母の苦労は想像を

絶するものがあったであろう。そんな私が物心付いた頃、

いじめという地獄のような日々に遭遇し、わずか4,5歳にして

私は生きるということの辛さと悲しさとを、いやというほど味わうことになる

近所のいじめっ子たちが私を見て黒んぼ、黒んぼ、といっては寄ってくる。

つぎはぎの服をみては汚い服と笑われる。

そんな毎日がいやで、次第に人をさけるようになっていく。

当然友達もいない、近所の子供たちが楽しそうに遊んでいるのを

影から眺めながら、一人いつもさびしくて悲しい幼少時代が続いた。




命の流れ3(いじめ)



辛くて悲しい幼少時代の中で、いじめられ、からかわれながら、ふっと

思った。人はなぜ人を攻撃し、なぜ、いじめたり、嫌がらせをしたり

して喜ぶのだろう、私はあんな人間にはぜったいならないって自分に

言い聞かせてきた、誰とも友達になれない私の寂しさはどう表現しよう

と言い表すことの出来ないほど辛かった。ある日、いつも私をいじめ

からかう連中がいつもと違うやさしい顔でやってきて、一緒に遊ぼう

と言ってくれた。うれしかった。信じられないくらいうれしかった。

とっさに「うん、あそぼう」と答えて一緒に仲間に加わった。

かくれんぼをするという、私に鬼をと目隠しをされた。

鬼さんこちら、の声のほうに歩いていたら、用意してあった

落とし穴に落ちてしまって、服が泥だらけになってしまった。

そのぶざまな姿を見ては、(や〜い、だまされた)と言って

みんなから笑われて、くやしくて、悲しくて、涙があふれ

私なんか生まれてこなければよかったと、この時ほど強く思った

ことはない、山に登ってワンワン泣いた。心が張り裂けそうに

なるくらい泣いた。その時、瞬間に光が全身を包むような感じ

とともに声がした。(泣くんじゃない、泣くんじゃない、お前は

神の子)・・・不思議だった。心の辛さが一瞬で平安に変わったのを

体験した。やがてそんな私も小学校入学へと時代は過ぎて

この時住み慣れた狭い我が家から少しだけ広い家へと移り変わっていく。

弟が生まれて家が狭くなったということで、市営住宅に申し込んで

いたのが当たったらしい。私はこの引越しに期待した。

もういじめっ子からいじめられることもない、新しい学校で

お友達が出来るかも知れない。その期待感を胸に新しい住所へと

引っ越していった。 



命のながれ4(えこひいき)


私が引越しをしたのが、小学校2年になったと同時の4月

新しい学校で、いじめのない学校生活を期待して、初めての

登校日、一緒のクラスに、校長先生の子供が手洗い場で割り込んで

きた。私はとっさにその子をダメ、、と手で押した。

それを見ていた先生が私を叱った。割り込んだその子をなぜ

注意しなくて、私を叱るのかが分からなかった。

あとで、何度も同じようなことが重なって

なるほど、その子が校長先生の子供だからなんだ。

つまり、えこひいきということだ、きたない

こんな大人にはなりたくない

こんな先生にはなりたくない

新しい学校でも、友達と言える人のないまま2年生を終えた

3年生になって、途中で転校生一人がわたしたちのクラスに

入ってきた。その子はやさしい子で、この私にも優しく接してくれた。

私はそのことがとてもうれしくて、その子と友達になりたい

とひそかに思っていた。この頃やっと学校にいくのが

楽しくなってきた矢先

とんでもない出来事が私の目の前に起こった。

信頼していたその子が、クラスの連中に取り囲まれて

お前、あんなくろんぼと友達か?

って質問されていた。

(あんな子と友達な訳ないじゃん

かわいそうやけん、友達のふりしてるだけ)

ショックだった。あの子だけは違うと思っていたのに

もうだれも信じられなくなった。

こんな小学校時代も終わりに近づいた頃

東京オリンピックで女子バレーの優勝の場面に

凄い衝撃を覚えた。

こんな世界があったなんて、私は中学生になったら

絶対バレー部に入ろう、そしたら自分が

変われるかも知れない

心の底からわきおこるこの思いを抱いて

小学校の卒業式をむかえた。



命の流れ5(中学時代)


中学入学の朝、私は祈るような気持ちで学校へと向かう

今度こそお友達が出来るように、と祈った

新しいクラスのみんなはどの人も初めてで

やさしそうに見えてほっとした

なによりうれしかったのは念願のバレー部に入れたこと

楽しかった、勉強が嫌いな私はこの部活だけが

唯一の時間で、毎日があっという間に過ぎていく

2年生になったある日、数学の先生が私にこう言った

(君は本気を出せば必ず出来る子なんだけどな〜

数学の面白さを知ったら、バリバリやれる子なんだけどな〜)

先生にあんなふうに言ってもらえたのは、生まれて初めてだった

うれしかった、この時から魔法にかかったように

数学の大好きな私へと変身し、苦手だった勉強も克服できていく

バレー部でもエースアタッカーとして活躍し

楽しい中学生活を満喫していた

3年生になって、進路を決めないといけない時がきた

わたしは悩んだ、高校に行きたい、だけど

我が家の経済では、とても高校にいける余裕はなかったのである

わたしは家を助けるために、中学を卒業したら

就職しようと決心し、主任の先生に相談した。

この時先生の、心ある助言で

夜間高校があることを知り、その高校を受験することになる

中学卒業の日、この楽しかった3年間の思い出が

脳裏に浮かんできて、やさしく接してくださった

先生やお友達に心で有難う、と繰り返しながら

涙が止まらなかった。


命の流れ6(定時生高校)



初めての高校生活、昼働き夜、学ぶ、という

慣れない日々に戸惑いながらも

充実した毎日が過ぎていった

いろんな事情を抱えている子が多く

心の優しさが光っていた

それでも仕事と、勉強を両立する、ということは

とても大変で、一人、二人とやめていく

辛いから、励ましあって、助け合って

本当の友達になれたのに

そんな友がやめていくのはたまらない

説得する私に、(優等生の綾ちゃんにわたしの気持ちはわからん)

となげやりな言葉が返ってきた

私は試験の用紙を白紙で出した

お友達の心を開くためだったら、勉強もすててもいい

そう思った、4年の進路を決める時期がきた時

人数は三分の一にまで減って、寂しさは増していった

私は、父の果たせなかった大学卒業を、父の代わりに

果たしたくて、大学進学の道を選んだ

入学金を納め、下宿先を決めて、さあこれから、という時

私の父が他界した、目の前が真っ暗になった 
                                               私が母を、弟を、助けないと・・・

心に強く言い聞かせていた

私たちの卒業を待って、結婚式をするという主任の先生に

父の死を告げることが出来ず・・・

(先生、大学、行く気、せんなったけん、やめるけん)

という私に、(いい加減な気持ちで受験するな)

と叱った、(先生、ごめんね、)と心で繰り返し、誤った

辛い時、苦しい時、励ましあった、仲間や、先生方との

別れ、父との死別、さまざまな思いで迎えた卒業式で

涙は湧き出て止まらず、顔はぐしゃぐしゃになった


命の流れ7(白血病

大学進学を断念し、母と弟を助けるために働く道を

自ら選んだ私は、ただ夢中で働いた

父を失った悲しさを、忙しさで紛らす

そんな毎日が続いたある日、高校時代の友が入院した

病名は急性白血病、卒業とほぼ同時くらいに結婚し

幸福の真っただ中と思われていた彼女がなぜ・・・・・

毎日のように、お見舞いに行ったけれど

病状はしだいに悪化していった

苦しい、苦しい、私の手をにぎっては訴えてくる

どうしてあげることも出来ない、とうとう最後の時がきた

おなかはパンパンに腫れて、体中むらさき色になって

呼吸も苦しくなって、ついに息を引き取った

毎日、体をさすってあげることぐらいしか

私には出来なかった、人間の無力さをいやというほど

知らされた瞬間だった、ごめんね、久美ちゃん

助けてあげることが出来なくて、ごめんね

気が狂ったように泣いた、涙が枯れるまで泣いた




命の流れ8(見合い)

夫を失ってからの母の口癖は、私に対する結婚願望の言葉であった

父は仕事面で、ず〜と恵まれなくて経済の苦労が続いたためか、

私に、結婚相手は手に職を持つ職人さんがいい

私を早く安心させておくれ、なにかにつけ、この言葉を連発する母

私は当時、独身を貫く会の会長よ、などとまわりに語っていたほど

結婚なんてとんでもない、という思いでいっぱいだった

幼い頃から父と母の苦労をず〜と見てきて

結婚=地獄っていうようなイメージがあったのである

父は普段はいい人なのだが、酒を飲むと人が変わって

母に暴力を振るう父、毎日がうんざりだった

だが今は、この母を悲しませる訳にはいかない

偶然にも見合い話が降ってきた、以前仕事先でお世話になった方より

声をかけてきてくださった、相手は職人さんで佐官職

母の願いどうりの話が舞い込んで、とりあえず会ってみることにした

この日の出会いが、私を結婚へと運んでいったのである



命の流れ9(結婚)

の期待に答えるように、佐官職である今の主人と結婚し

毎日が幸せな日々のはずであったが・・・

ある日、主人が、突然急性肝炎で入院した

2ヶ月間の入院生活は、我が家の経済を大きく脅かした

日給月給のため、休んでいる間はお金が入らない

やっと退院し、仕事も順調にいきかけて、また

大きい経済苦の波がやってきた

今度は主人の腰に激痛が走り、ヘルニアと診断される

しばらくは仕事は無理と言われ、またまた収入の道は

閉ざされる、この時すでに子供は二人、三人目がおなかの中に宿っていた

これも試練と受け止めながら、決して負けない

必ず、必ず先では良くなる・・・そう言い聞かせながらも

お金のない惨めさは、表現できないほどの辛さに変わっていく

ある時は電気が止まり、またある時はガスが止まったこともある

なぜ?どうして?結婚てなに?はてなマークが私の頭でぐるぐる回って

悔し涙が止め処もなく、流れていく日々が続き

当然のごとく、夫婦喧嘩も絶えなかった

ある日の喧嘩で主人が暴力を振い、勢いで私はタンスに頭をぶっつけられて

もう、だめだ、いっしょには暮らせない

離婚しかない、私の頭は、はてなマークでいっぱいになった



命の流れ(経済苦という絶望の中で)


年老いた主人の母と、3人の子どもたちの6人家族での生活は

決して楽ではない、なんとかこのような苦しい日々から

抜け出したくて、信仰の世界(キリスト教)へと向かっていった

しかし、経済の壁はさらに私たち家族に厚く、のしかかってくる

ある、真夏の暑い日、ついに水道まで止まった

仕事から帰って見ると、子供が、お母さん水が出ないよ、という

そう、水道局が工事をしてたのかもしれないね

明日は、大丈夫だよ、きっと、、、夜遅く公園の水を汲みに行って

夜空を眺めながら、涙が止まらなかった

財布の中もからっぽ状態、もう何もかも疲れてしまって

もう、生きていくのは無理、限界、いっそのこと家族の命を

全部とってくれたらいいのに・・・・

火事とか、交通事故とかで、命が亡くなったら、楽になれるのに・・・

揺れる心で夜空を眺めながら、もう、たまらなくなって

思い切り大きな声で泣いた、神様に向かって文句を言った

神様、私がなにをしましたか?なぜこのような苦しみが

続くのですか?私はなんにも悪いことはしていないのに

なぜこのような目にあわないといけないのですか?

全身の力を振り絞って震えながら、大声で叫んで言った

涙とともに絶叫する私を慰めるかのように

温かい声がした、包み込むような声だった

それはね、あなたが、どんな人の苦しみも悲しみも

わかる人になるためだよ・・・・

幼い頃に聞こえたなつかしい声・・・夜空なのに光が

私の心の中に差し込んだ、次の日なんにも事情を知らないはずの

クリスチャンの友がやってきて、私に封筒を差し出すではないか

間違っていたらごめん、今あなたが困っていたら

これを役立ててほしい、神様に導かれて来ました

そう言って去っていった友・・・

中に10万円も入っていた、封筒を握り締めたまま

感謝の涙でいっぱいになった、神様は私を見捨てなかった

この時私は誓った、私は神様に助けていただいた命だから

人助けの道を歩ませていただこう・・・

この時から人の幸せのために祈る、という

祈りをささげる日々の毎日が始まったのであった
                       


命の流れ10(経済苦という絶望の中で)


年老いた主人の母と、3人の子どもたちの6人家族での生活は

決して楽ではない、なんとかこのような苦しい日々から

抜け出したくて、信仰の世界(キリスト教)へと向かっていった

しかし、経済の壁はさらに私たち家族に厚く、のしかかってくる

ある、真夏の暑い日、ついに水道まで止まった

仕事から帰って見ると、子供が、お母さん水が出ないよ、という

そう、水道局が工事をしてたのかもしれないね

明日は、大丈夫だよ、きっと、、、夜遅く公園の水を汲みに行って

夜空を眺めながら、涙が止まらなかった

財布の中もからっぽ状態、もう何もかも疲れてしまって

もう、生きていくのは無理、限界、いっそのこと家族の命を

全部とってくれたらいいのに・・・・

火事とか、交通事故とかで、命が亡くなったら、楽になれるのに・・・

揺れる心で夜空を眺めながら、もう、たまらなくなって

思い切り大きな声で泣いた、神様に向かって文句を言った

神様、私がなにをしましたか?なぜこのような苦しみが

続くのですか?私はなんにも悪いことはしていないのに

なぜこのような目にあわないといけないのですか?

全身の力を振り絞って震えながら、大声で叫んで言った

涙とともに絶叫する私を慰めるかのように

温かい声がした、包み込むような声だった

それはね、あなたが、どんな人の苦しみも悲しみも

わかる人になるためだよ・・・・

幼い頃に聞こえたなつかしい声・・・夜空なのに光が

私の心の中に差し込んだ、次の日なんにも事情を知らないはずの

クリスチャンの友がやってきて、私に封筒を差し出すではないか

間違っていたらごめん、今あなたが困っていたら

これを役立ててほしい、神様に導かれて来ました

そう言って去っていった友・・・

中に10万円も入っていた、封筒を握り締めたまま

感謝の涙でいっぱいになった、神様は私を見捨てなかった

この時私は誓った、私は神様に助けていただいた命だから

人助けの道を歩ませていただこう・・・

この時から人の幸せのために祈る、という

祈りをささげる日々の毎日が始まったのであった